隠居僧(老和尚)「パートナーの難病介護の日常」

不慣れな家事全般と介護等の老僧の主夫?

 パートナーの難病(オリーブ橋小脳萎縮症)の介護生活と愛犬の独り言?

笠戸島 深浦~火振岬~白浜~本浦~(3)

横道に逸れて 三回目 笠戸島の普段見られない 裏側?(周防灘がわ)を見てみます。
先ず 深浦を回り カツネ岬から古島を見ながら周防灘へ~絶好の漁場が有ります

カツネ岬先端です!

カツネ岬を後ろに見て 前方は 古島(ここは笠戸島付属です)

この古島とカツネ岬の間を抜け周防灘に出て行きます。
そのまま真っすぐに行けば大分市の関崎と愛媛県の佐多岬の間・
豊後水道を通り 太平洋に抜けます。
亀岩↓

・↑象の肩・・大浦へ・・↓

↑白っぽい砂浜が見えその上は森になっていますが この辺りに大浦があったらしい?
昭和30年代までは2軒〇〇家の本家新宅があったらしい・・ ここから山越えで深浦に出て行ったらしい。 現在はこの山道は草ぼうぼうでどこが道か?分からない?


火振灯台です。 この周辺 結構良い漁場です。

真ん中 辺りに三角形の岩が見えます その前方 今では草・木が生えていますが近年まではこの岩場(ガケ)に 自然にできた観音像(摩崖仏?)が有り 島の人の信仰を集めていました。 が 10数年前の台風で崩壊して 今では見る影もなくなりました   
 白浜の小島です。↓

   


                                  
白浜を離れ 垰の浦 地区の人は (たんだ) とも呼んでました。 1.2軒の家が見えますが 住んでいるか?どうか?分かりません? この垰を越せば尾郷です。


↑鎌石の岬を回れば 東風浦が有ります。 尚 ここの前方は光市です 


 ↑東風浦 昔は10数軒の地区でしたが現在は1軒のみ らしい? 
しばらく進むと ↓寺崎と云う岬を回り 本浦が見えます。

 本浦 笠戸大橋から見える地区です。150軒余りありますが・・
この地区も御多分にもれず 高齢者と猫の地区になっています。 笠戸小学校があったのですが 数年前廃校になりました。


護岸の向こうは漁業施設 そして お泊 と云う地区


笠戸大橋を真下の海から見ました!

と いう事で・・ 一周回ってみました。 
笠戸島は昔から七里七浦と云われていましたが・・宮島様をお祀りしようと云う話の時分 6浦しか無かったから 広島の方 今の宮島に決まった。との負け惜しみの伝承が残っております。 又 笠戸の謂われは・・昔 旅人が島の景色を眺めているうち つい笠を忘れ去って その名がついたと云う伝説があります。又 神功皇后が新羅ご親征の途中 笠戸の浦に宿をとられました。そして 宿の戸口に笠をかけ忘れたまま出発して・・
で 笠戸 と呼びようになった。と伝えられています。
 
笠戸島を一周回りました・・ 次回から 元の介護生活 及び他の趣味にもどります。

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